JR西日本がJAL、ANAと連携

鉄道と航空はこれまで、乗客を奪い合う競合関係にありました。しかし近年はインバウンド需要の拡大を背景に、連携の動きが進んでいます。例えば2021年には、海外のJALマイレージバンク会員がマイルを「JR-WEST RAIL PASS」に交換できる仕組みが導入され、JR西日本とJALによる西日本周遊型の施策が展開されました。

2030年代を目途に、両社の予約システムを直接連携させ、鉄道と航空を一括で手配できる環境の整備が進められています。従来は、航空券を先に予約し、その後に新幹線や特急を個別に手配する必要がありましたが、この仕組みにより海外からの旅行者は一つのプラットフォームで移動全体をまとめて予約できるようになります。

早速ですが、羽田〜南紀白浜の航空券と、JR西日本の特急「くろしお」や周遊パスを組み合わせたダイナミックパッケージ商品の展開も行われます。

移動時間で比較すると飛行機の方がやや短い一方で、料金面ではどうでしょうか。例えば大阪〜福岡の場合、直前予約の航空券と新幹線の通常運賃はおおむね同程度で、約16,000円前後となります。これに対し航空券は、繁忙期を避けた早期予約であれば約9,000円程度まで下がることがあり、条件によっては航空の方が安価になります。

政府が掲げる2030年の訪日外国人旅行者6,000万人という目標のもと、交通と観光の連携が強化されつつありますが、比較的安定した新幹線運賃と、時期によって大きく変動する航空運賃をどのように連携・統合していくのかが今後の課題となります。現状、訪日外国人の宿泊は約7割が首都圏・関西・名古屋に集中しており、地方分散も課題となっています。鉄道と航空の連携は、訪日外国人の動線の地方分散という課題解決につながるかが注目されます。

2026年5月1日
鉄旅ライフ編集部
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鉄道が始まった1872年6月に仮開業だった理由と開業にまつわる豆知識

1872年10月14日は「鉄道の日」ですが、じつはその4ヶ月も前に、品川駅から列車(れっしゃ)が走りはじめました。海の上に線路(せんろ)をつくる工事がむずかしくて、新橋(しんばし)までつなげるのが遅れてしまったからです。完成(かんせい)は今のような「JR」みたいな会社(かいしゃ)ではなく、国(くに)が鉄道をつくって動かしていました。 だから、駅で働く人はみんな公務員(こうむいん)でした。

110形蒸気機関車

なぜ「仮開業」だったのか

本来は「新橋〜横浜」で同時に始める計画でしたが、当時の兵部省(軍)が「鉄道よりも軍備が優先」と猛反対し、用地買収を拒否しました。兵部省の反対で高輪付近の土地が買えず、そのため、やむを得ず海の上に堤防「高輪築堤」を築いて線路を通すという驚きの工法が採用されました。しかし、海の上に線路を敷くという海上工事は非常に難航し、完成が大幅に遅れました。そこで、先行して完成していた「品川から南」だけで先に営業を始めたので「仮開業」とされています。10月14日の正式開業は、この難工事だった新橋〜品川間がついに完成し、全線がつながった日を指します。正式開業後は「日本初の始発駅」の座を新橋に譲りましたが、日本の鉄道の歴史は品川から走り出したのかもしれません。

  • 測量中に石を投げられた
    「地面の下に龍脈がある」「土地が汚れる」と信じる人々から、測量中の技術者が石を投げられたり、測量杭を抜かれたりする妨害が相次ぎました。
  • 測量杭は呪いの道具?
    地面に打ち込まれる測量杭が、まるで「地面を刺し殺す釘」のように見えたため、夜中にこっそり抜かれたり、測量隊が川に投げ込まれたりする騒ぎが各地で頻発しました。
  • 品川駅は日本初の鉄道駅の一つ
    10月の正式開業より4ヶ月も早く客を乗せていたため、品川駅と横浜駅(現・桜木町駅)は、事実上「日本で最も早く営業を開始した駅」となります。
  • 当時の不便な乗り継ぎ
    新橋〜品川間が未開通だった仮開業中は、人々は新橋から品川まで馬車や徒歩で移動し、そこから列車に乗り換えていました。
  • お金を出したのは「イギリス」
    国がやるとはいえ、日本にはお金がなかったので、イギリスからの外債によって調達されました。加えて、設計・施工・資材調達・技術指導までを一体で行うため、イギリス人技師団が招聘されました。
  • イギリス人技師の焦り
    工事の現場を指揮した中心人物が、イギリス人技師エドモンド・モレルで、軍部の妨害や海上工事で遅延が重なる現状に強い危機感を抱いていました。しびれを切らした彼が、「できている区間だけでも動かして実績を作ろう」と提案したことで、1872年6月の品川仮開業に繋がりました。
  • 当時の運行状況
    仮開業時は品川~横浜間を1日2往復しており、所要時間は約35分でした。当時の品川駅は現在よりも海に近い場所に位置していました。
  • 日本の蒸気機関車はイギリスからの「中古品」スタート
    当初日本に導入された蒸気機関車や客車は、イギリスで不要になったものを中心に買い揃えたものでした。そのため、性能がバラバラで維持管理には相当な苦労がありました。
  • 「おかおか」と呼ばれた蒸気機関車
    初めて蒸気機関車を見た人々は、その姿や音から「陸蒸気(おかじょうき)」、あるいは「おかおか」と呼んで恐れおののきました。「馬車よりも速い化け物」と噂されたほどです。
  • 日本初の鉄道は「国家プロジェクト」
    当時は民間にお金も技術もなかったため、当時は工部省(今でいう国土交通省)が直接運営していました。「国鉄」という名前すらまだなく、単に官設鉄道(かんせつてつどう)と呼ばれていました。
  • 駅員さんは「公務員」
    日本初の駅員さんたちは、今で言うエリート国家公務員(当時は官吏と呼ばれました)。制服も軍服に近いカチッとしたもので、サーベルを下げている人もいたりとかなり威厳がありました。
  • なぜ「会社」じゃないの?
    当時は、商人・旧藩系資本などによる民間主導案もありましたが、明治政府は鉄道を単なる交通手段ではなく、国防や近代国家づくりに直結する基幹インフラと考えていました。大隈重信ら政府中枢もこの考えに立ち、最終的に国が主導する国営事業として進められることになります。

なぜ新橋~横浜間だったのか

当時の横浜駅

当時の日本はお金がなく、短い距離の鉄道しか建設できない状態でした。外国人が街に入ってくることに反対する意見が多かったので、当時が外国人居留地があった東京の築地と、横浜の野毛にそれぞれ近い場所に新橋駅と横浜駅を設け、両駅を短い鉄道で結ぶことで、外国人が街をあまり歩き回らないしようと明治政府が考えたからでした。

横浜停車場の初代駅長、土肥旨一

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