1872年10月14日は「鉄道の日」ですが、じつはその4ヶ月も前に、品川駅から列車(れっしゃ)が走りはじめました。海の上に線路(せんろ)をつくる工事がむずかしくて、新橋(しんばし)までつなげるのが遅れてしまったからです。完成(かんせい)は今のような「JR」みたいな会社(かいしゃ)ではなく、国(くに)が鉄道をつくって動かしていました。 だから、駅で働く人はみんな公務員(こうむいん)でした。
- なぜ「仮開業」だったのか
本来は「新橋〜横浜」で同時に始める計画でしたが、当時の兵部省(軍)が「鉄道よりも軍備が優先」と猛反対し、用地買収を拒否しました。兵部省の反対で高輪付近の土地が買えず、そのため、やむを得ず海の上に堤防「高輪築堤」を築いて線路を通すという驚きの工法が採用されました。しかし、海の上に線路を敷くという海上工事は非常に難航し、完成が大幅に遅れました。そこで、先行して完成していた「品川から南」だけで先に営業を始めたので「仮開業」とされています。10月14日の正式開業は、この難工事だった新橋〜品川間がついに完成し、全線がつながった日を指します。
正式開業後は「日本初の始発駅」の座を新橋に譲りましたが、日本の鉄道の歴史は品川から走り出したのかもしれません。
- 測量中に石を投げられた
「地面の下に龍脈がある」「土地が汚れる」と信じる人々から、測量中の技術者が石を投げられたり、測量杭を抜かれたりする妨害が相次ぎました。 - 測量杭は呪いの道具?
地面に打ち込まれる測量杭が、まるで「地面を刺し殺す釘」のように見えたため、夜中にこっそり抜かれたり、測量隊が川に投げ込まれたりする騒ぎが各地で頻発しました。 - 品川駅は日本初の鉄道駅の一つ
10月の正式開業より4ヶ月も早く客を乗せていたため、品川駅と横浜駅(現・桜木町駅)は、事実上「日本で最も早く営業を開始した駅」となります。 - 当時の不便な乗り継ぎ
新橋〜品川間が未開通だった仮開業中は、人々は新橋から品川まで馬車や徒歩で移動し、そこから列車に乗り換えていました。 - お金を出したのは「イギリス」
国がやるとはいえ、日本にはお金がなかったので、イギリスからの外債によって調達されました。加えて、設計・施工・資材調達・技術指導までを一体で行うため、イギリス人技師団が招聘されました。 - イギリス人技師の焦り
工事の現場を指揮した中心人物が、イギリス人技師エドモンド・モレルで、軍部の妨害や海上工事で遅延が重なる現状に強い危機感を抱いていました。しびれを切らした彼が、「できている区間だけでも動かして実績を作ろう」と提案したことで、1872年6月の品川仮開業に繋がりました。 - 当時の運行状況
仮開業時は品川~横浜間を1日2往復しており、所要時間は約35分でした。当時の品川駅は現在よりも海に近い場所に位置していました。 - 日本の蒸気機関車はイギリスからの「中古品」スタート
当初日本に導入された蒸気機関車や客車は、イギリスで不要になったものを中心に買い揃えたものでした。そのため、性能がバラバラで維持管理には相当な苦労がありました。 - 「おかおか」と呼ばれた蒸気機関車
初めて蒸気機関車を見た人々は、その姿や音から「陸蒸気(おかじょうき)」、あるいは「おかおか」と呼んで恐れおののきました。「馬車よりも速い化け物」と噂されたほどです。 - 日本初の鉄道は「国家プロジェクト」
当時は民間にお金も技術もなかったため、当時は工部省(今でいう国土交通省)が直接運営していました。「国鉄」という名前すらまだなく、単に官設鉄道(かんせつてつどう)と呼ばれていました。 - 駅員さんは「公務員」
日本初の駅員さんたちは、今で言うエリート国家公務員(当時は官吏と呼ばれました)。制服も軍服に近いカチッとしたもので、サーベルを下げている人もいたりとかなり威厳がありました。 - なぜ「会社」じゃないの?
当時は、商人・旧藩系資本などによる民間主導案もありましたが、明治政府は鉄道を単なる交通手段ではなく、国防や近代国家づくりに直結する基幹インフラと考えていました。大隈重信ら政府中枢もこの考えに立ち、最終的に国が主導する国営事業として進められることになります。
